明治期から大阪の「新名所」
実は明治期から若者が集まる観光スポットだった梅田東界隈。
流行りを面白くアレンジして取り入れてきた「大阪らしさ」が、
今もグランフロント大阪や茶屋町などの町に投影されている。
かつては梅田東までを氏地とした大淀エリアの寺社にも足を運んでみよう。
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2013年、JR梅田貨物駅跡地・うめきた地区の再開発1期としてオープンしたグランフロント大阪。約7haの広大なスペースは単なる商業施設ではなく、せせらぎや豊かな緑を感じられる空...
- グランフロント大阪
- 69 1990
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タージマハル(インド)やサグラダ・ファミリア(スペイン)などと並び、イギリスのメディアで「世界の建造物トップ20」に日本で唯一選ばれた梅田スカイビル。空中庭園展望台(有料)は3...
- 梅田スカイビル
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全国的にも珍しい歯の神社。もとは地域のお稲荷さんだったが、江戸中期に淀川が氾濫した際、御神体の巨石が洪水を防いだことから「歯止めの神様」と崇められ後に「歯の神様」と慕われた。毎...
- 歯神社
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明治中期から昭和初期まで茶屋町にあった当時の「高層タワー」。大きな池や温泉を持つ「有楽園」という遊園地のシンボルとして建てられた高さ約39mの木造建築で、“キタの9階”と呼ばれ...
- 凌雲閣跡
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ファッションビルの真ん中に溶け込むように建っている石碑。旧能勢街道(池田街道)沿いだった当地に江戸時代から茶屋ができはじめ、明治中期には「鶴乃茶屋」「萩乃茶屋」「車乃茶屋」とい...
- 鶴乃茶屋跡碑
- 73 3058
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「菜の花や 月は東に 日は西に」。モニュメントに刻まれる歌は、毛馬生まれの俳人・与謝蕪村が、あたり一面に広がる菜の花畑で遊んだ幼少期を懐かしみ詠んだもの。温もりある蕪村の俳句を...
- 与謝蕪村句碑
- 74 4905
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紀伊國屋書店梅田本店の横に鎮座するお地蔵さん。1891(明治24)年に近くの畑から掘り出され、阪急三番街の完成とともに移設された。一般的にお地蔵さんは上座となる南向きが多いが、...
- 北向地蔵尊
- 75 3625
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江戸から明治時代にかけて造営された梅田墓は「大坂七墓」のひとつで貞享年間(1684~88)に当地に移転。江戸時代には「七墓巡り」が流行り、当時は肝試し感覚のデートコースでもあっ...
- 梅田墓跡
- 76 4107
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幕末の浮世絵師・戯作者であった暁鐘成。歴史マニアでなくても一度は目にしたことがある江戸時代の観光ガイドブック『摂津名所図会大成』の著者で、なんと勝楽寺に眠っている。江戸後期の大...
- 暁鐘成墓所
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通称「大仁(だいに)八阪神社」。かつての界隈の呼び名・大仁は、朝鮮半島の百済から渡来し、仁徳天皇に「咲くやこの花」の歌を献じた王仁(わに)博士に由来。明治時代は茶屋町界隈までが...
- 八阪神社
- 78 2253