ファッションビルの真ん中に溶け込むように建っている石碑。旧能勢街道(池田街道)沿いだった当地に江戸時代から茶屋ができはじめ、明治中期には「鶴乃茶屋」「萩乃茶屋」「車乃茶屋」という3軒の料理茶屋が集まっていたことから「茶屋町」と呼ばれるようになった。かつては梅や菜の花の名所として、花見のために多くの人で賑わっていた。