史跡・記念碑 MONUMENT
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1945(昭和20)年6月7日、大阪大空襲により多くの人々が逃げ場を失い、旧長柄橋下の河川敷に避難したところへ米軍機が爆弾を落とし、機銃掃射を浴びせ、400人近い命が奪われた。...
- 旧長柄橋弾痕と慰霊の観音像(明倫観世音菩薩像)
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大川北岸にある南天満公園内の、天満青物市場跡碑のすぐそばにある。♪ねんねころいち 天満の市よ 大根(だいこ)そろえて 舟に積む~♪と、市場や水運の活況を歌っている。天満で生まれ...
- 天満の子守歌歌碑
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明治初期、熊本藩蔵屋敷の跡地に建てられた製紙工場で、日本初の洋紙が作られた。きっかけは、大阪の商人・平野屋五兵衛がイギリスから洋紙を製造する機械を買ったこと。会社の名前を何度か...
- 近代製紙業発祥の地
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小説家の水上瀧太郎(1887~1940)は東京出身。長くビジネスマンと作家の二足のわらじを履き、保険会社で大阪勤務も経験した。碑には、大阪時代の経験をもとに描いた代表作『大阪の...
- 水上瀧太郎文学碑
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幕末の浮世絵師・戯作者であった暁鐘成。歴史マニアでなくても一度は目にしたことがある江戸時代の観光ガイドブック『摂津名所図会大成』の著者で、なんと勝楽寺に眠っている。江戸後期の大...
- 暁鐘成墓所
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江戸から明治時代にかけて造営された梅田墓は「大坂七墓」のひとつで貞享年間(1684~88)に当地に移転。江戸時代には「七墓巡り」が流行り、当時は肝試し感覚のデートコースでもあっ...
- 梅田墓跡
- 76 1988
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「菜の花や 月は東に 日は西に」。モニュメントに刻まれる歌は、毛馬生まれの俳人・与謝蕪村が、あたり一面に広がる菜の花畑で遊んだ幼少期を懐かしみ詠んだもの。温もりある蕪村の俳句を...
- 与謝蕪村句碑
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ファッションビルの真ん中に溶け込むように建っている石碑。旧能勢街道(池田街道)沿いだった当地に江戸時代から茶屋ができはじめ、明治中期には「鶴乃茶屋」「萩乃茶屋」「車乃茶屋」とい...
- 鶴乃茶屋跡碑
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明治中期から昭和初期まで茶屋町にあった当時の「高層タワー」。大きな池や温泉を持つ「有楽園」という遊園地のシンボルとして建てられた高さ約39mの木造建築で、“キタの9階”と呼ばれ...
- 凌雲閣跡
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現在は豊中市に移転した東光院の山門前に架けられていた橋の跡。境内の萩が美しく「萩の寺」と呼ばれ、界隈は参拝者の往来で賑わっていた。妙見山へ続く旧能勢街道の起点であり、池田・能勢...
- 萩之橋跡碑
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