近松・藤十郎も愛した道行きエリア
近松門左衛門が描いた悲恋の物語『曽根崎心中』『心中
2020年に亡くなった歌舞伎俳優・坂田藤十郎さんが
生涯をかけて演じた物語の舞台でもある曽根崎川(
登場人物たちに思いを馳せれば、悲しくも美しき景色が見えてくるはず。
-
物販店や飲食店が並ぶ阪急梅田駅茶屋町口界隈の雑踏に紛れてしまいそうな神社だが、神山町に843年に創建された綱敷天神社(冊子P6)の御旅社で、夏の渡御祭の際に神様がお休みになる社...
- 綱敷天神社御旅社
- 89 571
-
近松門左衛門が描いた悲恋の物語『曽根崎心中』のヒロイン・お初がいた茶屋はこの付近。恋仲の徳兵衛と心中へ向かう際、まず梅田橋を渡って天神の森へと姿を消した。昔から橋はあの世に繋が...
- 梅田橋跡
- 12 2346
-
近松門左衛門が描いた『心中天網島』のクライマックスの有名な一節「道行名残の橋づくし」には、西から東へと道筋に架かる橋が順に登場し、心中に向かう男女の心情が表現されている。「別れ...
- 元櫻橋南詰
- 11 1393
-
堂島アバンザの敷地内に鎮座。聖徳太子の時代からこの地にあり、「御堂がある島」から「堂島」という地名になったと伝わる。ミラーガラスが輝くモダンな球体に生まれ変わったのは、堂島アバ...
- 堂島薬師堂
- 10 1830
-
曽根崎川の別名は蜆川。かつて北新地を東西に流れ、川を挟んだ北側の歓楽街を「曽根崎新地」、商業地として発展した南側を「堂島新地」と呼んだ。1909(明治42)年に発生した北の大火...
- 曽根崎川跡・蜆橋銅板標
- 9 1954
-
明治後期まで北新地を東西に流れていた蜆川の跡。茶屋が建ち並んでいた江戸時代、蜆川は客たちが船遊びをしたり、川沿いの座敷で芸者の歌や舞を楽しんだりといった実に粋な風景が広がってい...
- 蜆川跡・蜆橋
- 8 2221
-
1929(昭和4)年に曽根崎警察署を建てる際、地中から掘り起こされた地蔵を工事の邪魔だと扱ったところ、立て続けに災いが発生し、「お地蔵さんがごねている」とおまつりした。以降、招...
- ごて地蔵
- 7 1925
-
江戸時代の遊女かしくの墓がある日蓮宗の寺院。かしくは酒乱で、酔った勢いで兄を刺殺してしまう……。首打ちの刑に処される前に断酒を誓ったことから「断酒の神」として信仰を集めるように...
- 法清寺(かしく寺)
- 6 2143
-
かつて海に浮かぶ孤島だった場所に、源融が天照大神(あまてらすおおみかみ)をまつったことが起源。社殿が西を向いており「夕日の神明」「夕日神社」と呼ばれていた。1909(明治42)...
- 神明社旧跡
- 5 1801
-
川船で荷物を運ぶことが主流だった江戸時代。中之島に集まる各藩の蔵屋敷の敷地内に、船で直接荷物を運び入れるため設けた入堀に大きな橋を架けていた。長さは約7~15mで、この碑の場所...
- 船入橋碑
- 4 1597