史跡・記念碑 MONUMENT
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川船で荷物を運ぶことが主流だった江戸時代。中之島に集まる各藩の蔵屋敷の敷地内に、船で直接荷物を運び入れるため設けた入堀に大きな橋を架けていた。長さは約7~15mで、この碑の場所...
- 船入橋碑
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かつて海に浮かぶ孤島だった場所に、源融が天照大神(あまてらすおおみかみ)をまつったことが起源。社殿が西を向いており「夕日の神明」「夕日神社」と呼ばれていた。1909(明治42)...
- 神明社旧跡
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明治後期まで北新地を東西に流れていた蜆川の跡。茶屋が建ち並んでいた江戸時代、蜆川は客たちが船遊びをしたり、川沿いの座敷で芸者の歌や舞を楽しんだりといった実に粋な風景が広がってい...
- 蜆川跡・蜆橋
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曽根崎川の別名は蜆川。かつて北新地を東西に流れ、川を挟んだ北側の歓楽街を「曽根崎新地」、商業地として発展した南側を「堂島新地」と呼んだ。1909(明治42)年に発生した北の大火...
- 曽根崎川跡・蜆橋銅板標
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近松門左衛門が描いた『心中天網島』のクライマックスの有名な一節「道行名残の橋づくし」には、西から東へと道筋に架かる橋が順に登場し、心中に向かう男女の心情が表現されている。「別れ...
- 元櫻橋南詰
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近松門左衛門が描いた悲恋の物語『曽根崎心中』のヒロイン・お初がいた茶屋はこの付近。恋仲の徳兵衛と心中へ向かう際、まず梅田橋を渡って天神の森へと姿を消した。昔から橋はあの世に繋が...
- 梅田橋跡
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先物取引の世界的先駆けである「堂島米市場」を象徴する巨大な米粒が、建築家・安藤忠雄のデザイン協力のもと2018年に米市場跡地に建てられた。米市場は江戸時代の豪商・淀屋が土佐堀川...
- 堂島米市場跡碑「一粒の光」
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日羅は『日本書紀』に登場する6世紀の人。大和朝廷から朝鮮半島の百済との親和を図るべく派遣されて活躍したが、最後は百済人に二重スパイ容疑で暗殺された。国益の犠牲となった高官を偲ん...
- 日羅公之碑
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困窮する庶民のために立ち上がった大塩平八郎。1837(天保8)年の決起後、大砲1発目は大塩邸向かいの与力宅裏庭にあった樹齢200年超の槐の木に撃ち込まれた。
- 大塩の乱 槐跡
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大坂夏の陣で豊臣陣営が敗れた後に建立。豊臣信仰が根付く大坂の状況を払拭するため、徳川家ゆかりの東照宮を建てたといわれる。明治維新後に豊臣再興の風潮が高まり廃社となった。
- 川崎東照宮跡
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