南北両側で阿吽(あうん)のライオン像が見守る名橋。幕府が管理した公儀橋の一つであり、現在の姿になったのは1915(大正4)年。市章である澪つくしのモチーフをはじめ華麗な装飾が随所に見られ、なんといっても中之島公園へと続くアプローチが美しい。