1945(昭和20)年6月7日、大阪大空襲により多くの人々が逃げ場を失い、旧長柄橋下の河川敷に避難したところへ米軍機が爆弾を落とし、機銃掃射を浴びせ、400人近い命が奪われた。機銃掃射による弾痕の残る橋脚の一部分は、1983(昭和58)年の長柄橋架け替え時に、地域住民により設置された戦争遺構であり、大小二つの弾痕の跡が黄色のペンキで塗られている。
犠牲者を慰霊するため、観音像も据えられており、交通量の多い橋上にあり日常的に手を合わせて花を手向ける通行人も多く、悲惨な歴史と平和の尊さに思いを馳せる場として市民に親しまれている。