江戸後期、天満は日本一のガラス製造地だった。きっかけは長崎のガラス職人・播磨屋清兵衛が、天満宮そばでガラス製造を始めたことから。第二次世界大戦後、工場の移転により衰退したが、2000年に天満のガラス職人が薩摩切子の技を継承した「天満切子」を販売。新たな大阪の名産として注目されている。