1936(昭和11)年に源八橋が架かるまで、唯一の交通手段は「源八渡し」という船の行き来だった。毛馬生まれの俳人・与謝蕪村も利用したことから、橋の欄干に「源八を わたりて梅の あるじかな」との句が刻まれている。春には橋の下に流れる大川沿いの桜が咲き乱れ、周囲が幻想的なピンク色に染められる。