貨幣製造がもたらした欧米の風
明治政府は近代国家の仲間入りを果たすべく、大阪に造幣寮(現在の造幣局)を置いた。貨幣製造という近代産業が運んだ欧米の文化は、今もエリア一帯にモダンな香りを残している。
正面玄関は旧造幣寮から
生まれ変わった旧桜宮公会堂
旧桜宮公会堂は、1935(昭和10)年に明治天皇記念館として建設された。正面玄関は1871(明治4)年に建てられた「旧造幣寮鋳造所正面玄関」からの移築。
戦後、公会堂や図書館として使われた後、2007年以降は閉鎖されていたが、古い設計図を手掛かりに内部や日本庭園を再生・復元。現在は結婚式場・レストランとして、忘れかけられていた歴史的建築が人々の幸せの記憶に残る場所に息を吹き返した。
明治天皇が命名した「貨幣の館」
泉布観は、旧造幣寮が創業した1871(明治4)年に応接所として建てられた。設計は旧造幣寮ともに、明治初期の日本の西洋建築を数多く手掛けたトーマス・J・ウォートルス。泉布は貨幣、観は館の意味。明治天皇が行幸した際に命名された。
あの五代友厚も尽力した
金融都市・大阪再生のシンボル
2021年に創業150周年を迎えた造幣局。明治政府は1871(明治4)年、幕末の乱れた貨幣制度を立て直し、先進国に追いつこうと造幣事業を急いだ。大阪の発展に尽力した五代友厚はこの分野で進んでいた英国が設立した香港造幣局の機械を購入。「天下の台所」と呼ばれた金融都市・大阪を再生しようと考えたのである
豊かな水が使える大川沿いで貨幣製造は大成功。年間約10億枚製造される国内貨幣のうち約5億枚を大阪本局で製造。偽造防止のために施される技術は世界トップクラスである。記念貨幣や勲章・褒章、オリンピックメダルなども製造。貨幣製造の様子が隣接する博物館と併せて見学できる。